ジョージ・クラム:『マクロコスモス』より「死の雨のヴァリエーション」
エイトル・ヴィラ=ロボス:ブラジル風バッハ第4番
チック・コリア:『チルドレンズ・ソング』より
バルトーク・ベーラ:ハンガリー農民の歌による即興曲 OP.20/BB83/Sz.74
バルトーク・ベーラ:アレグロ・バルバロ BB63/Sz.49
ジョージ・クラム(1929- )は現代アメリカの作曲家。
既存の楽器法・記譜法から逸脱した作曲法を展開しながら、独自の作風を追求してきた。
代表作に「ブラック・エンジェルス」『マクロコスモス』等。
『マクロコスモス』はその名から推測することも出来るように、バルトークとドビュッシーという、20世紀のピアノ音楽における偉大な作曲家に対しての、クラムのリスペクトを下敷きに書かれた。
しかし、バルトークのものした『ミクロコスモス』が教則本的意味合いを持つのに対し、『マクロコスモス』はピアノ表現の実験的な追求の側面が強い。
全4巻、ピアノ独奏用に書かれた1、2巻には「アンプリファイド・ピアノのための黄道十二宮にちなんだ12の幻想的小品」という副題が付けられている。
ブラジルに生まれたエイトル・ヴィラ=ロボス(1887-1959)は、母国の民俗音楽に根ざしながら、20世紀前半の伝統的な西洋音楽に、南米という文脈的辺境の地から来たりて本流に影響と刺激を与えた作曲家。
教育者としても活躍しながら、生涯に1000近い(数え方に依って650〜3000になると言われる)作品を残した。
貧しかった若かりしヴィラ=ロボスは、世界的なピアニストであるアルトゥール・ルービンシュタインに見出され、ヨーロッパに渡るチャンスを得た。彼の演奏会にはラヴェルやプロコフィエフ、ヴァレーズらが喝采を送ったという。
「私は過去のどの作曲家の影響も受けていない」と言ったヴィラ=ロボスだが、幼少の頃に叔母が弾いていた『平均律クラヴィーア曲集』は、彼の音楽にバッハへの敬愛を反映させることになる。
ブラジルの民謡を素材として、バッハがしたように組曲を創り出したいという情熱は、15年の間に9曲の「ブラジル風バッハ」を産み落とさせた。
第4番は4曲の組曲からなる。のちにオーケストラ版に編曲されもするが、作品の精神性や叙情性はピアノ独奏のオリジナルが優っている。
ヴィラ=ロボスの他の作品がそうであるように、この作品もまた、表層に留まらない、内奥に潜む音楽がある。
時に辛抱強く、彼の音楽の強度に向き合う先に、ブラジルの大地の様な豊穣さが聴こえてくる。
チック・コリア(1941- )はイタリア系とスペイン系の血を引いている。
彼は既にジャズの大家中の大家の一人であるが、音楽ではラテンを下地にしながら、ジャズ・ロック・フュージョン・フリーとジャンルを軽々と乗り越えてきた。
マイルス・デイヴィスのグループでは「ビッチェズ・ブリュー」などに参加、自身のバンドとしてはリターン・トゥ・フォーエヴァーやエレクトリック・バンドを経て多彩な活動を続ける。
クラシックでも、フリードリヒ・グルダと共演し、アーノンクールの指揮するアムステルダム・コンセルトヘボウとモーツァルトの「2台のピアノのための協奏曲」をレコーディングしている。
『チルドレンズ・ソング』は、コリアが綴った小品集。それぞれ表題は持たず関連性もない。
非常にシンプルな楽譜から、遠い記憶や創意が溢れてくる。
バルトーク・ベーラ(1881-1945)はハンガリーに生まれた。
20世紀を代表する作曲家・ピアニストであり、また民俗音楽研究に関しても黎明期の第一人者としてその礎を築いた。
バルトークにとってのライフワークは民俗音楽研究である。25才でコダーイと出会い、民謡の採集・分析を始めたバルトークは、その果実として彼自身の作風と理論的バックボーンを手に入れることとなる。
「ハンガリー民謡による8つの即興曲」は1920年の作品。
規模は決して大きくはないが、バルトークの作曲技法がシンプルに凝縮された、濃密な作品である。
彼は、何世代に渡って伝承されてきた農民の歌のなかにこそ、洗練とは真逆の、最も豊かな文化の真髄があると考えていた。
その音楽・旋律を尊重しながら、エッセンスを抽出し色付けする作業は、バルトークにとっても心躍る作業であったのではないだろうか。
「アレグロ・バルバロ」は転じて1911年、バルトーク31才に作曲された出世作。
1912年、フランスの新聞にバルトークとコダーイが「ハンガリーの2人の野蛮な(=バルバロ)若者」と評されたことから、出版に際して「野蛮なアレグロ」としたというエピソードがある。
当時の聴衆を驚かせた斬新な和声と旋律線、そしてなにより躍動的で叩きつけるようなリズムは、ハンガリーに限らず遠くアフリカまで出向いて採集した、大地と人が交感する響きのようだ。